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2018.05.07 Mon | US INFO

アメリカで教育 | バイリンガル教育

「様々な日本語習得」森 美子

 

人は自分の経験に基づいて物事を判断したり、価値観を形成したりすると言われています。初めて子育てする親であれば、自分がどう育ってきたか、どのような教育を受けてきたかが、子どもの教育方針に大きな影響を与えることでしょう。このコラムの読者の多くが、日本で生まれ、日本で育ち、日本語で教育を受け、自分が日本人であることを意識することがないぐらい、ごく自然に日本語や日本文化を身につけてきたことと思います。しかし、海外で子育てをしていると、こと言語教育に関しては、自分の体験や価値観がいい判断基準にならないことがあります。

 

これは、親の育った言語環境と、海外で育つ子どもの環境が大きく違うからです。子どもの置かれた言語環境は実に千差万別で、個人差もあるので、一概にこうだと決めつけることはできませんが、それでも、年少者の日本語習得には、大きく分けて、四つのパターンがあることは知っておいていいと思います。その四つとは、第一言語(母語)、継承語、第二言語、外国語としての日本語習得です。この四つの習得形態の質的な違いを押さえておけば、海外で育つ子どもの抱える言語上の問題が見極めやすくなると思います。

 

第一言語としての日本語習得とは、日本で生まれ、日本で育ち、家でも学校でも日本語を使う環境で育つ子ども達の習得形態です。ここでは、第一言語を親あるいは保護者から引き継いだ言語とします。日本の子どもは、毎日、家で日本語を話し、学校でも日本語で学び、友だちと遊ぶときも日本語です。街に出ればすぐ日本語が飛び込んできますし、テレビ、本、音楽など身近な娯楽も日本語がほとんどです。このような環境で育つ子ども達にとって、日本語は生活そのものです。また、常に日本人として行動するよう教育されるので、ごく自然に日本文化を身につけ、日本への帰属意識を育みます。そして、もし子どもの日本語力に何らかの問題があれば、親や学校など周りの大人が察知し、何とか日本語力が向上するよう支援してくれます。

 

これに対し、継承語としての日本語習得とは、家では日本語を使うけれども、家の外では日本語が通じない環境で育つ子どもの習得形態です。継承語ということばは、親から引き継いだ言語という意味では第一言語と同じですが、社会の主要言語とは異なるときに使われます。例えば、米国では、英語が主要言語であり、日本語は少数言語、あるいは、継承語として位置付けられます。日本では、日本語が主要言語、アイヌ語などの少数言語が継承語とされています。米国で育つ日本人の子どもの多くが、家では日本語、学校では英語というように、二言語を使い分けて生活しています。友達と話すとき、スポーツや音楽などの課外活動に参加するとき、読書、音楽、映画など身近な娯楽を楽しむときも、英語がほとんどでしょう。このような環境では、英語ができないと生活や学習に支障をきたすので、学校などが子どもに十分な英語力を身につけさせようと支援してくれます。しかし、継承語である日本語ができなくても、特に困るわけではないので、気づいてくれる大人はほとんどいません。

 

これと逆のパターンが第二言語としての日本語習得です。つまり、家では日本語を使わないけれども、学校や社会では日本語しか通じない日本の環境で育つ子どもの日本語習得です。この場合は、社会の主要言語は日本語、継承語は子どもが親から引き継いだ言語(例えば、中国語やポルトガル語など)です。近年、日本では、外国人労働者の増加に伴い、労働者への日本語支援はもちろん、日本語を母語としない子ども達への教育的支援が重要な課題となっています。日本では、日本語が溢れており、熱心な日本語教員も多いので、日本語支援は比較的受けやすいかもしれませんが、同時に子どもの母語も積極的に伸ばし、多言語話者育成を目指す支援は限られているのが現状です。

 

外国語としての日本語習得は、家でも社会でも日本語を使う機会はなく、学習の場が日本語の授業時間のみに限られてしまう場合の習得形態です。英語母語話者が米国の現地校で外国語としての日本語を履修するのがいい例ですし、日本での英語教育のほとんどが外国語としての英語習得です。

 

もちろん、以上のような四つのパターンには当てはまらないケースもたくさんあります。家で複数の言語を使い分け、さらに学校では家庭の言語とは違う言語で学ぶ子どもいるでしょうし、親の仕事の関係で、数年おきに様々な国に移り住む子どももいます。また、海外でも全日制の日本人学校に通えば、日本に近い環境で日本語を習得することができるでしょうし、日本にいても、インターナショナルスクールなどで、日本語以外の言語で教育を受ける子どもいます。

 

しかし、ここでポイントとなるのは、子ども達がどのような場面でどのように日本語を使っているかです。下の表から明らかなように、この四つの習得パターンでは、子ども達の使用言語が家庭、学校、社会(コミュニテイー)のそれぞれで違います。その結果、獲得する言語力が質的に違ってくるのです。

 

 

もうお分かりだと思いますが、米国で育つ日本人家庭の子どもの多くが継承語として日本語を学んでいます。両親とも日本人か、片親が日本人かによって、家庭での日本語使用の量と質が違ってくるでしょうが、それでも、日本語が主に家庭で使われる言語であるという点では共通しています。また、親が日本人でもあっても、家庭での日本語使用が全くなければ、子どもの置かれた環境は限りなく外国語としての日本語習得に近くなります。

 

家では日本語、外では現地語という二言語環境で育つ継承語話者の言語力にはいくつか特徴があります。まず、子どもにとって、二言語が違う機能を持つということです。日本語は、家で使われる言語なので、生活の基盤となる言語、そして、家族との絆を象徴するウチの言語です。一方、現地語は家の外で使われるいわばソトの言語ですが、学校での教科学習に必要な言語、そして、友人も含め社会との繋がりを築くのに欠かせない言語です。

 

次に、言語力のアンバランスが挙げられます。日本語は主に家庭でしか使われないので、子どもが成長し、現地社会との繋がりが深まるにつれ、現地語が強いことば、日本語が弱いことばになっていきます。幼い頃は親と日本語だけを話していた子どもでも、学齢期になって現地校に通い始め、学年が進み、現地の友人も増えていくと、日常のことばが現地語に置き換わり、日本語を話さなくなることもあります。さらに、日本語力そのものを見ても、会話はできるけれども、読み書きが弱いということが多々見られます。これは、家庭では、聞く話すに比べ、読み書きする機会が極端に少ないからです。その結果、学年が進めば進むほど、子どもの日本語力が知的発達に追いついていかなくなるのです。

 

二言語が違った機能を持つということは、伸びる言語力も違ってくるということを意味します。一般的に、家庭では具体的な場面に基づいた会話中心の言語使用が多く、物事を抽象化して考えるという機会はあまり多くありません。一方、学校では、見たことも聞いたこともない新しいことを、主に印刷物を介して学び、それを一般化したり抽象化したりすることが要求されます。これは場面依存度の低い言語使用で、高い認知力が要求されます。カナダのバイリンガル研究者のカミンズは、このような二種類の言語力を「生活言語力」と「学習言語力」という概念で識別し、二つは独立した力だと言っています。つまり、生活言語力があるからと言って、読み書きを中心とした学習言語力も高いとは限らないのです。

 

家庭でしか日本語を使う機会のない子どもにとって、日本語の生活言語力を身につけることはできても、学習言語力も習得できるとは限らないのです。よく日本人の親が自分の子どもの日本語が不十分だと嘆くのを聞くことがありますが、第一言語環境と継承語環境の質的違いを考えれば、一世の親と二世の子どもの日本語力に違いがあるのは当然です。家庭の教育に問題があるとか、子どもに学習意欲がないとか決めつける前に、まずは、子どもの置かれている言語環境をしっかりと認識すべきでしょう。その上で、二言語環境で育つ子どもの強みを生かした支援を考えていくべきだと思います。日本語で学習言語力を身につけさせたいと願うなら、読み書きを中心とした学習の場を人為的に設け、学習させる必要があるのです。

 

社会的、教育的支援のない言語は、放っておくと三世代で自然消滅すると言われています。一世の親を持つ二世は、家では親の言語を使わざるをえないでしょうが、現地との関わりが圧倒的に多いため、現地語が優勢になります。中には、現地社会に同化することを優先するあまり、継承語を自ら否定するケースもあります。そのような二世が親になり、三世の時代になると、家庭での継承語使用はほとんどなくなり、生活の基盤が現地語になります。継承語喪失はいわば自然現象と言ってよく、逆に、継承語を次世代に引き継いでいくことは、自然現象に逆行しようとするだけの覚悟と努力が必要だと言えます。

 

多言語環境で育つ子ども達は、日本で育った親とは違い、個人の中で複数の言語と文化が重なり合った独自の存在です。日本語と英語のどちらの言語文化も彼らの一部なのです。そのような子ども達を、日本人かアメリカ人かとか、日本語(英語)が完璧か完璧でないかとか、単一言語環境で育った親が持ちがちな二者択一的な価値観で捉えようとすると、どうしても無理が生じてきます。日本語を次世代に継承するという重要な任務を背負った親の役目として、子どもを多言語多文化の融合した独自のアイデンティティーを持つ個人として尊重し、さらに、そのような自分に自尊心が持てるような支援を考えていきたいものです。

Written by 森 美子

森 美子

ジョージタウン大学東アジア言語文化学部准教授。日本語プログラム主任。南山短期大学英語学科、南山大学外国語学部英米学科卒業後、愛知県や東京都で高校の英語教諭を勤めた後、渡米。オハイオ大学言語学部大学院で修士号、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校教育学部教育心理学科大学院にて博士号を取得。専門は心理学的見地から見た第二言語習得。語彙・漢字習得、第一言語の影響、学習者のメタ認知知識、継承語としての日本語習得などに関する論文を発表している。2008年よりAP Japanese Language and Culture委員、2016年より全米日本語教師会副会長を務める。