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2018.11.14 Wed | US INFO

アメリカで教育 | バイリンガル教育

読み聞かせのすすめ

 

 

 

幼いお子さんに読み聞かせをしている家庭は多いと思います。地域の図書館や子どもの会でも、童話を読み聞かせたり、紙芝居や人形劇を上映したりと、子どもを本の世界に引き込ませる工夫がいろいろなされています。以前紹介した補習校の保護者への調査でも、「お子さんの二言語教育のために役立っていることは何ですか」という問いに対し、「読み聞かせ」を一番に挙げる回答がたくさんありました。しかし、興味深いことに、このような保護者の読み聞かせに対する信頼感と、補習校で学ぶ高校生の二言語力との間には何ら相関関係はありませんでした。もしそうだとしたら、私たちはなぜ子どもに読み聞かせをする必要があるのでしょうか。

 

幼い子どもにとって、大好きなお母さんやお父さんからワクワクするような話を読んでもらうのは、それだけで楽しい体験であるに違いありません。保護者にとっても、忙しい毎日の中で、たとえ短い時間であっても、子どもと一緒に本の世界を楽しむことは心の安らぐひとときになることでしょう。このように、読み聞かせには、楽しい、子どもと過ごす時間が持てる、心がなごむというような情緒面でのメリットがたくさんあります。しかし、それ以上に、教育心理学の研究では、文字の読めない段階から読みの段階に移行する時期に、大人からたくさん本を読んでもらうことが読みの習得に重要な役割を果たすと考えられています。

 

子どもは学校に通い始める頃には、かなり高い会話力を身につけています。まだ本の読めない幼児でも、大人をびっくりさせるような表現を使って話すことも多々あります。つまり、子どもは文字を覚え始める前に、音ではたくさんのことばを知っているのです。そのような幼児にとって、文字を覚えるということは、発想の転換を強いられるほどの大事業です。なぜなら、今までのように耳に入ってくる音声情報からことばを理解するのではなく、目に飛び込んでくる視覚情報から意味を取らなければならないからです。音の出ない記号の羅列をことばとして認識するには、まず自分で音声化し、それを知っていることばと結びつけなければなりません。もし記号を正確に音にすることができなかったら、正しい意味の理解は望めないでしょう。

 

文字を音にして意味と結びつけるには、まず、ことばがさらに小さな音の単位に分解できることを理解する必要があります。「あか」ということばは「あ」と「か」という音からできていて、二つ目の音を「き」に置き換えると「あき」ということばになるというような理解です。勘のいい子どもなら、「あか」の中にある/ka/という音は、/k/と/a/という音からできていて、/a/を/i/に置き換えると、/ki/になって、「あき」という別のことばが出来上がると理解するかもしれません。そのような意識が芽生えると、「あか」「あき」「あく」「あけ」など、ことばの中に存在する共通音と相違音を使って、ことば遊びをするようになります。

 

このようなことばを構成している音に対する理解を音韻意識といいます。幼児は自分の理解を筋道立て話すことができないので、音韻意識が芽生えているかどうかを知るには工夫が必要ですが、例えば、次のような質問をしてみれば、ある程度は分かります。

 

「たぬき」ということばはどんな音で始まっているかな?
「たぬき」ということばの真ん中の音は何?
「たぬき」ということばを「ぬ」をとって言うと、どうなる?

 

「たぬき」ということばが一つの音だと思っている幼児にとって、このような質問に正しく答えるのは簡単ではありません。質問の意図を理解できない子どももいるかもしれません。そのようなときは、

 

「たぬき」ということばがいくつの音でできているか、手をたたいて、
数えてみようか?

 

と言って、一緒に「た」「ぬ」「き」と言いながら、手をたたいて音節(拍)の数を数えてみるといいでしょう。そして、「最初の音は何だったっけ?」とか「真ん中の音を言わないとどうなる?」と聞けば、答えが返って来る確率が高くなると思います。

 

ことばの音が分解できることが分かったら、次は、分解された音が記号(文字)で表されることを理解しなければなりません。/ta/という音は「た」という記号で表され、/nu/は「ぬ」、/ki/は「き」で表されるというような理解です。そして、「たぬき」と記号が3つ合わさると、/ta nu ki/という音になって、それが、

 

 

と結びつくのです。これが読みの始まりです。

 

読みの研究では、このような幼児期の音韻意識が、読みの習得の基盤となっていることが明らかになっています。特に英語圏での研究では、子どもの就学前の音韻意識が就学後の読解力を予測するとさえ言われています。つまり、文字を覚える前からことばの音に敏感だった子どもは、学校に入ってから高い読解力を身につける可能性が高いということです。言い換えれば、本格的な読みの学習を始める前に、ことばの音を分解したり、違う音と入れ替えてみたり、共通する音で遊んだりする力を獲得しておくことが不可欠なのです。

 

幼児の音韻意識を高めるのに最適な方法は、しりとり、なぞなぞ、だじゃれなど、ことば遊びを楽しんだり、韻を踏んだ童謡を歌ったり、詩を暗唱したりすることです。例えば、しりとりをするには、ことばの最後の音が何であるかを認識し、その音で始まる別のことばを頭の中の辞書で検索しなければなりません。「とこやはどこや」というようなだじゃれを面白がるには、仮名の基本音と濁音の関連性を理解している必要があります。このようなことばの音を扱う遊びは、構成音に対する意識を強化します。

 

そして、芽生えた音韻意識を表記と結びつける機会を与えてくれるのが読み聞かせです。 読み聞かせとは、文字の中に埋まっている話を大人が音声で再現することによって、子どもに読みとはどのような作業であるかを示す活動です。字を覚え始めた子どもとって、習ったばかりの文字が音になって踊り出し、それが集まってことばになり、まとまった話を作り上げていく過程を体験するのは、さぞかし、うれしいことでしょう。子どもが文字に興味を持ち始めたら、読み聞かせのチャンスだと思って、たくさん本を読んであげてください。絵や話を楽しむのはもちろんですが、読みながら文を指でなぞったりして、文字と音に対する子どもの注意を喚起するのも一案です。

 

幸い、日本語の仮名は、一部例外はありますが、一つの字が一つの異なった音を表すのが原則です。「ぬ」という字はどんな所に出て来ても、いつも/nu/という音を表しますし、他に/nu/という音を表すひらがなはありません。従って、ひらがなを覚えた子どもなら、ひらがなで書かれた文を音読するのは、それほど難しい作業ではないはずです。ひらがなが正しく読めて、それが知っていることばと結びつけば、意味もすぐ分かります。表記と音の一貫性は、少なくとも読みの初期の段階では、大きな助けになると言われています。

 

その点、英語圏の子どもにとっては、アルファベット表記を音声化するのは、必ずしも簡単な作業ではありません。なぜなら、英語の表記と音の間に一貫性があるとは限らないからです。確かに、アルファベットは形がシンプルで、数も少ないので、個々の字形を覚えるのは易しいです。しかし、例えば、幼稚園などで「o」という記号は [oʊ] と読むと習っても、その知識を活用できるのは一部の語に過ぎません。on, come, go, move, women, pool, book, about, boughtなどのように、単語の中では「o」という記号がいろいろな所でいろいろな音として登場します。さらに、「ate」「eight」のように視覚的には違うのに、同じ音になる場合もあります。このような一貫性のなさが子どもを困惑させ、表記を正確な音にできなかったり、時間がかかりすぎたりする原因になるのです。

 

英語の表記法に規則と例外がたくさんあるのは、アルファベットが音素(音の最小単位)を表す記号であることに起因しています。ことばの音をこれ以上小さくできない母音や子音にまで分解し、それを一つ一つ記号で表すのですから、どうしても一語に使用する記号の数が多くなります。しかも、英語のアルファベット記号は26種類と限られています。少ない持ち札で、英語の全てのことばの音を表記するわけですから、当然、記号の組み合わせ(スペリング)の種類の数が多くなります。英語表記の問題はアルファベットの形や数ではなく、スペリングの複雑さなのです。

 

これに対して、日本語の仮名は音節(母音1つかその前後に子音を伴う音)を表す文字です。ひらがなの「ぬ」は一貫して/nu/という音を表わしますが、その字形の中に、/n/と/u/という2つの音素でできているという情報はありません。「ぬ」を/nu/と読むのは覚えるしかありませんし、仮名は音素を表すことができないので、日本語で使われる音節の数だけ文字の数が必要になります。その結果、学習すべき仮名文字の種類の数はアルファベット記号より多いのですが、一旦、覚えてしまえば、音読するのはさほど大変ではありません。

 

その意味では、韓国語のハングルは音素の透明度の高い音節文字です。字自体は音節を表しますが、個々の字が一定の規則に基づいて音素記号で構成されています。従って、限られた数の音素記号を覚えてしまえば、ハングルで書かれたことばを音にするのは簡単です。ただし、ハングルの音素記号はあくまでも字の構成要素であって、アルファベットのように独立した字としての機能はありません。

 

このように言語によって表記体系が違うという事実を観ると、それが子どもの音韻意識と読みの習得にどう影響するのか、興味深いところです。先ほど、ことばを構成している音に対する意識が読みの習得の土台になっていると述べましたが、その逆の可能性もあり得ます。つまり、文字を学習することで、その表記体系に特化した音韻意識が育つのではないかという考え方です。

 

もしそうだとしたら、音素を表すアルファベットを扱う英語圏の子どもは音素に対する意識が高まり、音節を表す仮名を学ぶ日本の子どもは音素よりも音節に意識を向けるのではないかという仮説が成り立ちます。事実、小学校1年生を比べると、英語圏の子どもの方が日本の子どもより音素に対する意識が高いという研究結果があります。しかし、その違いは小学校4年生ぐらいでなくなってしまうそうです。小学校4年生というと母語がほぼ確立する時期です。この時期に違いがなくなるということは、どの言語で育っても、最終的には同じような音韻意識が身につくと解釈していいと思います。

 

しかし、例えそうだとしても、小学校1年生の音韻意識が言語によって違うという結果は注目に値します。なぜなら、本格的に読みの学習を始める時期に、どのような読みの体験をするかが、子どもの言語力を左右する可能性があるからです。もしそうなら、この大切な時期に、文字が音になって飛び出してくるような体験をたくさんさせるべきです。子どもが文字を指差して「これ、何て読むの?」と聞いてきたら、すぐに教えてあげていいと思います。文字を正しく音にできなかったり、時間がかかったりすると、読む作業が面倒になって、楽しいと思えなくなるからです。

 

多言語環境で育つ子どもは、豊かな言語体験のできる恵まれた環境にあると言えます。実証するのはなかなか難しいのですが、複数の言語でことば遊びをしたり、本を読み聞かせてもらったりすると、それだけ、ことばの音、意味、表記に対する意識が鋭くなると考えられます。さらに、第一言語で培った言語知識や体験は、第二言語にも転嫁し、プラスに作用するとも言われています。従って、どんな言語環境であれ、母語でことば遊びや本を読む経験をたくさん積み上げておけば、将来、第二、第三言語を学ぶときに必ず役立つはずです。

 

最後に、私たちの調査で、保護者の読み聞かせへの考え方と高校生の二言語力が相関しなかったのは、10代後半の生徒の語彙力や読解力は、家庭環境よりも本人の読書量によって決まるからだと思います。幼児期の豊かな言語体験は強調してもし過ぎることはありませんが、家庭の役割は子どもの成長によって変わります。読み聞かせも大切ですが、学童期に入ったら自分で本を読む習慣を作ることが課題になります。次回は、学童期の子どもの読みの問題について考えてみたいと思います。

Written by 森 美子

森 美子

ジョージタウン大学東アジア言語文化学部准教授。日本語プログラム主任。南山短期大学英語学科、南山大学外国語学部英米学科卒業後、愛知県や東京都で高校の英語教諭を勤めた後、渡米。オハイオ大学言語学部大学院で修士号、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校教育学部教育心理学科大学院にて博士号を取得。専門は心理学的見地から見た第二言語習得。語彙・漢字習得、第一言語の影響、学習者のメタ認知知識、継承語としての日本語習得などに関する論文を発表している。2008年よりAP Japanese Language and Culture委員、2016年より全米日本語教師会副会長を務める。